新庄市文化財周遊
人と農の歴史が交わる場所「原蚕の杜」
登録有形文化財建造物 旧農林省蚕糸試験場新庄支場
ここ新庄市エコロジーガーデン「原蚕の杜」は、1934年に「農林省蚕業試験場福島支場新庄出張所」として開設され、施設全体が完成した1937年に蚕糸試験場新庄支場と改称されました。10ha の広大な敷地面積を活かして蚕の研究や桑の栽培など、戦中から戦後にかけて蚕糸業の発展に寄与しましたが2000年に閉所しました。
新庄市は、2002年にその跡地の譲与を受け、新庄市エコロジーガーデン「原蚕の杜」として開園し、蚕糸研究の歴史を伝える資料館としての公開を行いながら、産直・集会所・カフェ・イベント会場として活用しています。
日本全国に十数カ所あった蚕糸試験場のなかで、敷地全体が現存するのはここ新庄のみで、2013年には、当時の蚕糸研究を伝える貴重な施設だとして、国指定登録有形文化財となりました。
江戸時代 最上地域一円を治めた戸沢家歴代の墓所
史跡 新庄藩主戸沢家墓所
戸沢家は、1622年から11代にわたってこの地域一帯を治めた一族です。その藩歴代藩主の墓所が、ここ瑞雲院(ずいうんいん)の境内に6棟、そして上西山の桂嶽寺(けいがくじ)に1棟あり、ともに「御霊屋(おたまや)」と呼ばれています。
御霊屋の大きさや細部のデザインは、それぞれ異なりますが、基本的には同一様式となっており、総欅(そうけやき)の単層宝形造り(たんそうほうぎょうづくり)で、石場の上に土台を据え、丸柱を建てて柱間に厚い板を横にはめ込んで壁としています。
全国に多数ある大名の墓の中で、藩主とその正室や子ども、側室など一緒に葬られているのは極めて稀です。また、各歴代藩主の墓が一堂にあることから、1700年代の初期から後期に亘る約100年の間の建築様式の変化を示すとても貴重なものだとして、1987年5月12日に国の史跡に指定されました。
「雪のふるさと新庄」雪害救済運動発祥の地
登録有形文化財建造物 旧農林省積雪地方農村経済調査所庁舎
雪の里情報館は、1933年に開設された旧農林省積雪地方農村経済調査所の跡地に設置されています。
積雪地方農村経済調査所は積雪地域における農村活性化の調査所として開設され、雪害に苦しむ農村の救済・更生を担い、雪害救済運動発祥の地とされています。
この調査所の設置に尽力したのが山形県出身の衆議院議員 松岡俊三(まつおかとしぞう)です。
松岡は、大正末から昭和初めの雪国農村の悲惨さ目にし、積雪と寒冷による被害は台風や洪水などと同じ自然災害であり、国として救済すべきであると訴え続けました。その活動が国を動かし、東北六県全町村を「特別町村」と認定して交付金を増額するなどの法令が1932年に成立。雪害救済が国の施策として初めて施行されることとなりました。
積雪地方農村経済調査所は、その翌年に雪害調査の一環で設置されました。
雪の里情報館の一部となっている北欧風のトンガリ屋根の建物は、1937年に建造された旧庁舎で、雪下しの必要がない、急勾配の切り妻屋根と三角ドーマ窓が特徴です。建築学者の今和次郎(こんわじろう)が設計したとされています。
そして、積雪地域におけるこれらの活動の拠点として歴史的価値が認められ、2014年に国指定登録有形文化財となりました。
江戸時代の一般的な農家住宅の造りから当時の生活を知る
重要文化財 旧矢作家住宅
矢作家住宅は1716年~1786年ごろの江戸時代中期に建てられた、この地方の典型的な農家住宅で、主屋(おもや)から馬屋(まや)が突き出した「まや中門造り」となっています。
中門造りは、多雪対策のための造りで、秋田・山形・新潟などの日本海側に多く見られます。さらに、矢作家住宅の居間には、縁先(半戸前)がついており、雨戸の上には明り取りの高窓、裏手には雪を溶かす池を配置するなど、豪雪地帯の工夫が見られます。
それらを踏まえ、この地方における江戸中期の農業住宅の構造が見られる貴重な建物として、1969年に国重要文化財に指定されました。
また、新庄市は、「民話の郷」としても知られ、数多くの昔話が残っている地域でもあります。毎年、ここ旧矢作家住宅を会場として囲炉裏端で民話を語る「みちのく民話まつり」が開催されています。